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馬鹿にされる 馬鹿にするな これって勘違いかも

ポエムに合う挿絵をAIアートで創作しています。

 

毎回、ポエマーさんとの言葉の格闘技

ポエマーさんの見ている世界を肩越しに

のぞき見しています。

 

なんでこの表現なんだろう?

元々の意味は?

なんて一人瞑想ならぬ、迷走中(笑)

 

今回のお題は「牽牛星」

 

一生懸命・役目・役割・プライド

などのキーワードが並ぶ

 

牽牛星のイメージから発想を膨らませていくと

なぜか私の脳内にはドン・キホーテと一緒に

「馬鹿にする・馬鹿にされる」という言葉が下りてきた。

 

昼間の再放送の刑事ドラマの台詞に「馬鹿にするな!」「馬鹿にしやがって!」と怒鳴るシーンが蘇る(笑)

そのドラマを嬉々として見ていた頃は、一緒になって怒ってた。若かった~

 

この頃思うのは、「馬鹿にする」「馬鹿にされる」って幸せなことなのかな~

なぜならば、相手にしてくれる人がいる、存在を認めてくれるひとがいることなのでは?

などと、思うようになってきた。

 

そもそも、相手にもしてなければ「馬鹿にする」ことも「馬鹿にされる」こともない

無関心=アウトオブ眼中

 

「馬鹿にされている」=相手にされている

 

結構 幸せなことかもしれない

そんな風に感じられたら もっと 幸せになれる気がする。